相談してよかったと感じる、相談にのる側の姿

ヒトは不完全な生き物で、だからこそ集団を形成し支え合って生きる生き物だ。 支え合って生きるために、時には、ヒトがヒトに対して、自身が考え持つネガティブな思考を共有し、解決方法を導き出すこともある。 ヒトはそれを「相d

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やめやめ

狙ったようなクソエモ日記なんて少し時間が経った日には枕に顔面を埋めたくなるような産業廃棄物にしかならないのに、なに自己陶酔して "ヒト" とか書いてるんだ恥ずかしい

ということで、最近こういうことがありました。

相談しやすいという評価をもらった

畑の違う知り合い2人から、ありがたいことに自分の評価を頂戴しました。

あれなんですよ、 sho5nn さんは相談しやすいんですよねなんか

お話聞くの上手いねえ、モテるなあこれは

ありがてえありがてえ

何故そう思うのか、を教えてもらいました。

感情的にかつ論理的に相談にのっていた

すると..

相手の気持ちを汲みつつ、「自分もこういう経験があってね。。。」と披露しつつ、最後は「こう思うよね、だから大変だよね。でもこういう風になれたらもっといいよね。僕もそう思う、応援してるね。」っていう感じ。

なんかあんまり男らしくないというか、でも共感ばかりじゃないというか、程よい

ほほうなるほどなるほどそういう感じですがほほーん(まんざらでもねえ顔面

自分の解釈ではありますが、相談に対して感情的な共感や理解の意を表明しつつ論理的に解決策を伝えている、ということなのか?と受け止めました。

全く意識はしてなかったのですが、思い返すとそんな言い方をしているような気がしたので、相談にのる側はどういう姿でいることが相談する側にとって良いのだろうか、と考えました。

相談してよかったと感じる、相談にのる側の姿

誰しもが悩みを持ってますよね。持ってると思うんです。持っててください。僕は持ってます。

誰かに相談するときの、相談する側の気持ち、自分だったら、共感や理解を求めたいし具体的にどうしたらいいかという意見も聞きたいなあ、という、相談にのる側に対して感情的な共感や理解の反応と論理的な反応を求めます。

時には、相談の内容的に、相談する側自身が間違っていた場合もありえますよね。

そうであっても、最初は感情的な共感や理解があった上で、 でもそれは間違っているよ、なぜなら... という論理的な反応があると、相談する側としては、共感や理解をしてもらったという安心感の上で、自身が間違っていたという事実を素直に受け止められると思うんです。事実や正論を受け止めるのって堪えますよね。堪えると思うんです。堪えててください。僕は堪えます。

どういう相談内容にせよ、感情的な共感や理解の反応と論理的な反応で相談にのってあげると、 相談してよかったな と、 相談という行為自体に対する心理的障壁が低くなり 、以降も相談をしやすい環境であり続けられるんじゃないかな、と思った次第です。